管理人rita*お笑い人生劇場人生銀行人生の軌跡をまとめてみました。管理人の今までの人生の中での様々な出来事や事件なども多く載せていマス。英雄伝説・黄金伝説ではありませんのであしからず(笑)。(´▽`)           【BGM】 

管理人rita*のお笑い人生劇場・人生銀行・人生の軌跡をまとめてみました。管理人の今までの人生の中での様々な出来事や事件なども多く載せているので、性格判断・分析の材料にして下さい(笑)。決して英雄伝説ではありませんのであしからず。

 ■ 1975年 

1975年10月22日午前11時半、岡山県津山市にて
父上:kuniyasu、母上:michikoの3人目の子供として産声を上げ、両親から『 ryosuke 』の名を授かる

体重2750gとコンパクトだったが、生まれたときから『 義経眉 』で、眉毛が凛々しい赤ちゃんとして
巷の噂になる


父上の仕事の都合により、大阪府四条畷市へ引越
そしてさらに、物心が付かないうちに、これまた父上の仕事の都合により、ダッシュで石川県金沢市へ引越

最も古い記憶は、朝7時台に放送されていた教育番組『 ピンポンパン 』にテレビの前でかじりついていた記憶・・・。
テレビ出演を本気で夢見ていた非常に愛らしい幼児であった。



 ■ 幼稚園児時代 

幼稚園の隣の組の先生に初恋

このとき、
初めて大人の女性の魅力を知る
しかし、その想いは叶わなかった・・・。
(叶っていたら、間違いなく
淫行社会的大問題



お遊戯の時間に、同じ組の女の子に恋をする

このとき、初めて同年代の女の子の魅力を知る
しかし、その子は医者の息子(清水君)と相思相愛だった為、またもや想いは叶わなかった・・・。


仕事でいつも帰りが遅い企業戦士であった父上。
様々な用事で母上も外出・不在が多かったため、
寂しさに負けじと、父上と母上の写真を抱いて1人でお昼寝する日が多かった。
寂しすぎてときどき半泣きのまま眠りについていたのは、ここだけの秘密・・・。



十数回に及ぶ勝負の末、幼稚園内のジャンケン大会で優勝。(記念撮影アリ)
このときに恐らく、人生前半期の勝負運をかなり浪費(汗)。


学芸発表会での演目は『 浦島太郎 』。
『 竜宮城の蛸 』役と、浦島太郎が竜宮城から帰った後の、村の『 村人 』役を熱演。
人生、最初で最後の一人二役をこなすが、
演技の才能はほとんど無く、百万ドルの笑顔でごまかしていた・・・。(百万ドル!?)


図工が大好で、よく絵や漫画を描いていた。
工作やプラモデルなどの物作りにも熱中し、
ガンダムばっかり作っていた。



愛犬の散歩が好きで自ら率先して散歩に連れ出していたが、何度も愛犬に引きずりまわされた
散歩中に愛犬に逃亡されることも多々あり、その度に大泣きしていた俺。
愛犬の名前は 『 ハッピー 』 だったが、
よくよく思い出してみると、
俺的に全然ハッピーではない出来事の方が多かった・・・。



 ■ 小学生時代 

入学直後、クラスの隣の席の女の子に速攻で恋をする。
学校から帰ると毎日のようにその子の家に通い、両家両親公認の仲に・・・(笑)。

九九を覚えたのはクラスで7番目。(超中途半端。7の段に悪戦苦闘)



小2のとき、同じクラスの気の強い女の子と喧嘩になり、
女子トイレに逃げ込んで余裕をかましていた相手の女の子に
猛ダッシュで助走してから、勢い良く跳び蹴りを放つ。
(ある意味、真空飛び膝蹴り)
見事クリーンヒットし、
相手の女の子は激しく流血。(鼻血)

後日、俺の母上が相手の女の子宅まで謝罪に出向く。(当然、菓子折り持参)



兄貴と共に、柔道道場に通い始める。
学校の休み時間内で、クラス中の男子を教室内で投げ飛ばして遊ぶ。
(さすが俺、かなり迷惑な存在)



小3のとき、突然、大阪への引越しが決定
クラスメート達、愛犬ハッピーとの涙のお別れ。
(大阪の家では、いろいろ事情があって犬は飼えなかったので・・・)


大阪に来てすぐの国語の本読みの時間、
金沢と大阪のイントネーション・アクセントの違いをクラスのみんなに大笑いされ
軽いトラウマとなる
しかし、その後も元気に学校へ通う。(さすが俺、強い子)



金沢の元彼女?との文通に精を出し、生まれて初めて結婚の約束をする。(若気の至り)



地域のサッカーチームに入り、日々練習に励む。
真面目だったのでBチームのキャプテンになったが、実力は全然大したこと無かった・・・。
(人数不足や、コーチの戦術変更を理由に、何度かAチームに呼ばれる程度)



わがまま末っ子として、すくすく成長する
しかし兄貴には、プロレス技でよく泣かされた。
(プロレス技をかけられていた理由の約90%が八つ当たりで、俺的に大迷惑)


高学年になり、真面目にしている方が得だと悟る
それからは、評判になるほどの真面目ぶりを発揮する。(猫被りをマスター)



 ■ 中学生時代 


中1にしてスイミングスクールに通い、やっと人並みに泳げるようになる。(カナヅチ克服)
急成長して早い段階で選手コースに入ったが、
ウォーミングアップのクロール・背泳ぎ・平泳ぎ各20本で毎回バテバテ。
バタフライの練習に意味を見出すことが出来ず、半年弱でスクールを辞める。


サッカー部に入部し、
怖い怖い先輩たちに多少シバかれながら、先輩後輩の『 縦社会 』を実体験する。



中1のとき、同じクラスの子に激しく恋をする
しかし、うぶだったため、告白もせず、
3年間その子に想いを寄せる・・・。(はい、ここ重要!超一途デスヨ、皆さん!)


定期試験など、様々な場面で素晴らしいほどの要領の良さを発揮。
先生には『 真面目な生徒 』として一目置かれ、多くの先生に可愛がってもらった。
(悪いことをしても、決して疑われないという自由自在な日々を送る)





中3になり、急に色気付く
クラブが丸坊主廃止となったため、(それまではマルコメ)
ファッションに関する意識が加速度的に芽生える。

先輩や友人から、変形ズボン、中ランを貰う。
ヤンキーに憧れを抱き、眉毛を剃り始める。(若気の至り)



ずっと好きだった子から突如告白され、めでたく付き合い、彼女ができる。(超思春期!超青春!)

しかし、お互い意識しすぎて関係がマズくなったため、約2ヵ月で一方的に振られる・・・。



その後、その子が、同じクラス内の俺の友人と付き合ったため、ただならぬショックを受ける。
( しかも俺の恋愛相談相手だった友人 )

クラスの女子から毎日慰められる感じの日々を過ごす・・・。
恋愛に関する経験などを積み、人間的に少しレベルアップ。





卒業式にて、制服のボタンがすべて無くなる。
第2ボタンは、俺を大好きだと校内で結構有名だった後輩の女の子にあげた。
ボタンのうち、2つは友人の女の子に。
頭のいい(当時だけ)人のボタンを貰うと高校入試に受かるねん!と熱弁され、
友情のために喜んでボタンをあげた。



高校入試の際、制服のボタンが1つも無かったので、
高校入試のためだけに新品のボタンを買いに走る。
(多少の自慢にはなるが、アホ丸出しでもある・・・)




自分は賢いと勘違いして超適当に勉強していたため、第一志望の高校に落ちる。(努力の才能は無かった)



 ■ 高校生時代 

ほとんど知らない偏差値だけで決めた滑り止めの私立高校に通う。
(全然行くつもりが無かったので、超適当に決めすぎた)
人生や努力?に無意味さを感じ、
数々の親不孝を重ねる。

人生の歯車が狂い出す・・・。




ヘタレであったが派手な外見に憧れ、
髪の毛を脱色する。(金髪になったので、自称外国人を名乗り始める)
服装も派手になり、当時の一張羅は、真っ赤な刺繍入りズボンとジャケット。(まさにチンピラ)



梅田の居酒屋で、のちのち親友となるtomozumi&kyosukeと運命的に出会う。(当時全員15歳、当然未成年)
初対面で意気投合し、ほぼ毎日遊ぶようになる。
tomozumi&kyosukeは鳶職人&土木作業員で金持ちだったので、いつも奢ってくれた。(感謝)

学校には一応真面目に通ったが、夜は家を抜け出してtomozumiたちと遊びまくる生活を楽しむ。



徹夜で夜遊びに夢中になるあまり、通学途中あまりの眠気に襲われ、
公園で一休みしてから登校することが増える。
そんなシチュエーションの中で、
人生初めての職務質問・人生2度目の職務質問を受ける。(正直ビビッた)



kyosukeの紹介で、惚れに惚れこむ
超美人でグラマラスな彼女ができる。
ラブラブであったが、
ポケベルで彼女に管理されるようになる・・・。(束縛イヤー!)






大人の恋愛を知る。
(詳細・内容は自主規制)



スーパーの精肉店で、人生初のアルバイトを始める。(学校には当然内緒。ばれたら停学なので)
同棲資金(若気の至り)の名目で、日々の小遣いをせっせと稼ぐ。



アイパー、ヤンキーパーマ、モヒカン、様々な髪型に挑戦し、いかつさ倍増
『 rita*はシンナーを吸っているから近づくな、気をつけろ! 』との噂が、
地元の最寄駅中心になぜか広まった。

(確かにシンナーや違法な白い粉も吸ってたけど・・・。どこから漏れたのか!?)



彼女の父親の転勤(渡米)により、結婚まで考えていた彼女との
可愛らしくも純粋な恋愛が終わる・・・。(既にグレていたが、さらに少しグレる)





周囲の悪友・先輩のお陰で、
様々な形の恋愛にハマる。若いツバメ役も経験(笑)。
先輩に連れられ、初めてのナンパを経験する。(活動場所 : ミナミの戎橋など)

しかし、何度かの恋愛経験でも俺が求めるものは得られず、
別路線で彼女を探し求める・・・。



恋愛に対して積極的になり、
告白、紹介、合コンなどで彼女を作る。
しかも、いっぱい作ってみる。(若気の至り)
中3時代に並び、結構モテた甘く幸せな時代。



しかし、統計的に約80%の確率で最終的に振られる。
理由は、『個性的過ぎる部分があり、基本的にクール&ドライの俺には付いていけない』満場一致(笑)。

この当時、『女は、自分が振られる前に、相手を振るものだ・・・。』と悟る。





合法・違法な様々な遊びを覚え、

どんどん、あほの子になる。(補導はされたが、前科は無し)



高3になって受けた河合塾の模試にて、
大好きだった数学と化学は偏差値70以上だったが、
中学時代から大の苦手であった英語に関しては、基本的に偏差値40前後をキープ(恥)。

担任、進路指導の先生に、
『 お前は数学と化学だけしか出来ん偏った奴やな!英語と偏差値差が30もあるのは異常やろ!?と、
何度もクラス・職員室内で笑いのネタにされ、普通に何度も殺意を抱いた。



高校3年生の冬、体育クラスの生徒にどつかれ、
鼻骨粉砕骨折。(マッハパンチを浴びた)
今まで喧嘩した中で最強の相手だと思った(笑)。
パンチはまったく見えず、気付いたら俺は地べたにはいつくばっていたし、
粉々の鼻の軟骨がいつもの所定のポジションよりちょうど真横に1つ分ずれたし(笑)。


手術、その後の休養のため、
高校3年最後の定期試験(卒業試験)を受けずに高校を卒業する。



 ■ 大学生時代 

1度あほになった頭は全然元に戻らず、
教わりたかった教授が在籍する第一志望の国立大学を受験したが軽く落ちる。

結局、教わりたかった教授の師匠(京大名誉教授)がいる
某私立大学に通う。(第一志望の大学より偏差値的に低かった)



大学生と言えばサークル!
大学構内を歩いているだけで、上級生からの勧誘がかかるのが普通なはず・・・。

しかし、見てくれが悪かったのか、『 話しかけるなオーラ 』を醸し出していたのか



俺が勧誘されたのは応援団のみ・・・。
ミーハー大学生活のスタートダッシュを切れなくて少し残念・・・。


生涯の親友となるであろうtakayukiと出会い、大学生活のほとんどの行動を共にする。
大学近くで一人暮らししていたtakayukiの部屋で寝泊りする事が増え、
自分の必要な荷物をせっせとtakayukiの部屋に運び込む。(荷物を運び込みすぎて、ちょっと真剣に怒られる)





進学塾の非常勤講師アルバイトの魅力に憑りつかれ、講師バイト生活にどっぷりハマる。
夏期講習会で、軽く50万円以上を荒稼ぎ。

そのお陰もあってか、経済的にはまずまず快適な大学生活を送る。



高2時代の彼女が、突然、赤ちゃんを連れて目の前に現れ、
『 rita*の子よ!認知して!』 と言われ

一瞬、時間が止まる・・・。(いや、マジで。心臓飛び出したかも)


しかし彼女は嘘をついていて、言動や状況、その他さまざまな分析の結果、
他の彼氏の子供であることがすぐに判明。(人騒がせ極まりない)





高校1年のときに居酒屋で知り合った生涯の大親友tomozumiが事故死。
tomozumiの彼女、kyosuke、俺は丸2日間、失意のどん底に落ちて何も出来なくなる。


kyosukeと俺の2人でtomozumiの彼女を支え、
何とか一応通常の生活を送れるように苦しみながらも3人で頑張った。


しかしtomozumiの彼女が数回自殺を図ったため、
仲間・彼女のご両親などみんなで相談して、彼女を一定期間施設に入院させる事に決めた。

悪友仲間の中心人物であったtomozumiの死により、
友達の輪は徐々に壊れ、みんな疎遠になって行った・・・。





抜け殻のような状態を抜け出し、普通の大学生としての生活に一応戻るが、人生の虚しさを感じる事が増えた。
とりあえずtomozumiの死を1つの教訓に、毎日一生懸命生きるように心掛け始める。





人生何が起こるかわからない。

takayukiたちとの沖縄1週間思い出作り旅行の準備中、コンタクトを買いに行った眼科で
担当してくれた眼科助手の子に一目惚れする。(身体に電気が走った)



何としてでもかなり激しく一目ぼれしたその眼科助手の人と仲良くなるため、
眼科の出入り口付近で4回待ち伏せして、4回目にやっとお茶に誘うことに成功する。
(一歩間違えれば完全なストーカー)

お茶や食事、デートをする中で無事に相思相愛になり、付き合うことに成功。
ただ、倒れるほど驚いたのは、その眼科助手の子が
実は中3のときのクラスメートのお姉さんで、サッカー部の先輩の元彼女だったということ(笑)。





親友takayukiとryojiの3人で1週間の沖縄旅行へ出掛けた。
かなり強烈な日差しで2回脱皮し、現地人と化す。(確実に黄色人種の壁を越えた)



大阪に帰ってきた後、そのあまりの肌の黒さに、
周りの人に本気で別人だと思われる。(基本的に俺は美白だったので・・・)



眼科助手の彼女との毎日はとても幸せだったが、5ヶ月で振られる・・・。(かなり凹んだ)
振られた理由は、『 見た目と中身のギャップが激しすぎて付いていけないから・・・ 』とのこと。





( 小休止 )





大学2回生の終わり、
初めて訪ねた歯医者で、人生で最高にいい女だと思われる女性(歯科衛生士)に出会う。

いろいろ作戦を考え、連絡先を聞き出し、遊ぶ約束を取り付けることに成功。



しかし、デートはいいけど付き合うことは無理だと言われ、(キスはいいけど、それ以上は駄目!みたいな・・・)
2回真剣に告白したが、2回ともバッサリと振られる。(死ぬほど凹んだ・・・)





某進学塾での教え子の中に、俺の猛烈なファンが出来て、
1年間で100通以上の手紙と、いくつものプレゼントをもらう。

その子には何度も告白され、上手に断るのに結構神経を使った。

上手く導けたのかどうかは不明な点もあるが、
その教え子の数学の成績はグングン伸び(偏差値的には30以上)
京都・大阪の有名私立高校に余裕で合格。
学区内1位の公立高校にも難なく合格して進学した。

その子は中学生だったが、
恋愛の力は偉大だと感心させられた・・・。



塾講師バイトを頑張りすぎて取得単位が非常にヤバくなり、
進路指導担当教授に呼び出されて1時間大説教される。


大学3回生、心を入れ替えて真面目に朝から夕方まで大学に通って講義を受け、
試験も頑張って卒業に必要な単位数を確保する。

その努力の甲斐あって、主席とは行かないまでも学部8位の成績を獲得



社会に出る前にいろいろな世界を知っておこうと思い、

趣味の延長であるレンタルビデオ店員、イタリアンレストランのウェイター(2店舗)、
引越業者(アート引越しセンター)、倉庫内物品管理作業、
家庭教師、パン屋など、いろいろなアルバイトにも挑戦してみた。



大学の卒業研究は、『 阪神高速道路における渋滞緩和施策・乗り継ぎ制の効果 』に関して。
研究室の教授(京都大学名誉教授、この人に逆らうと土木業界では生きていけないと噂されていた人)の教え子(俺から見れば兄弟子)の会社の仕事を手伝う形で卒業研究に必要なデータを全部揃え、
1ヶ月弱という超短期間で卒業研究を完成させる(でも評価はA)。



土木学科では教授推薦で就職先を1つもらってそこに就職するのが伝統であったが、
当時は某国立大学大学院への進学も考えていたので、
好き勝手に自己流で就職活動に励む。


一番条件が良く、働き甲斐のある業界では有名な大手の土木コンサルタント会社から内定をもらうが、
学部生の俺に内定を出したことで、教授推薦枠で同じ会社を受けていた同大学の大学院生が不採用となり、
大問題になる。

就職活動担当教授と大喧嘩になったが、就職担当教授の圧力に屈することなく、
土木業界では有名なコンサルタント会社に就職する。



 ■ 社会人時代 @ 1998年〜 


大手土木コンサルタント会社の岡山県本社・技術本部勤務となり、
岡山県岡山市内にて初めての一人暮らし。
何もかもが新鮮で、楽しい毎日を過ごす

高校生活の最後あたりで付き合っていた彼女と突然ヨリを戻し、
しばしの遠距離恋愛。(寂しかったんよね・・・)



しかし、電話やメールでほぼ毎日喧嘩する癒されない生活に疲れ果て、
約1ヶ月でその彼女との別れを決意する。(やっぱ遠距離恋愛は難しい)

ヒステリックな彼女が別れることをなかなか承諾してくれず、結果的には無事別れられたが、
恋愛に疲れ果てる・・・。
(当時は刺されないだろうか?と結構本気で心配した・・・)



ゴールデンウィークを過ぎた頃から、上司の態度、仕事内容・仕事量が激変。
人間関係、病気・体調不良、膨大な仕事量(2日で36時間、1週間でその約3倍)に悩まされ、
いろいろ考えたが入社後1年あまりで退職

直接の退職理由は、もともと遺伝的に持っていた『 外斜視 』が非常に悪化したために
長時間の細かい図面の読み取りやパソコン業務が物理的に出来なくなったこと・・・。



 ■ 社会人時代 A 1999年〜 


大阪に戻り、大学時代にバイトでお世話になっていた某進学塾の社員として働き出す。
元々『 教える事 』、『 講師業 』が大好きだったので、充実した楽しい毎日を過ごす。


生まれて初めて自分だけのノートパソコンを購入。
嬉しがって意味も無くあらゆる物をパソコンで作り始める。



インターネットの面白さに魅了され、どんどんネットの世界にのめり込んで行く。
伝説のホームページ『 侍魂 』に感銘を受け、ホームページ作りにどっぷりハマる



学生時代同様に様々な場面で要領の良さを抜群に発揮し、上司にかなり認められる。

体罰禁止、ゆとり教育などが推進されて腑抜けとなっている教育には厳しさが欠けている!と強く思い、
キレキャラ・怖い先生としての確固たる地位をを築く。



校長・ブロック長・エリア長推薦を受け、 『 校長候補者研修 』 に無理矢理参加させられる。
何度も断ったが、結局業務命令で2年連続研修を受ける羽目になる・・・。

普通に研修を受けていたら、なぜかアセッサーからの評価がうなぎ上りになってしまったため、
副本部長に直接、 『 絶対にこの会社では校長にはなりません! 』 と啖呵をきる。





雨の降る山道を通って京都の職場へ通勤する途中、
車がスピンしてガードレールに激突。
その勢いのまま、ガードレールを越えて車ごと10m以上の崖から転落。




その大事故で、愛車・92レビンは廃車となるが、
ほぼ無傷で奇跡の生還を果たす。(シートベルトのお陰です、ハイ)

悪いことをしているわけではなかったが
完全に壊れた愛車の無残な姿を思い出し、うなだれてパトカーに乗って最寄の警察署へ。(見た目はまるで犯罪者)
事故に関する各種手続き中、警察官の温かみを知る。





廃車から半年後、雨の日の事故のトラウマは残っていたが
安全運転を強く誓い、新車を購入する。(超嬉しかった!今までの人生で最高額の買物)
ちなみに選んだ愛車は、今をときめく三菱の車(笑)。


正直、新車購入に関してはホンダのアコードワゴンと結構迷ったが、
いろいろな条件を自己分析して、三菱のランサーセディアワゴンに決定。
フルエアロ、内装、機材にもこだわったので、総額300万弱かかった・・・。





出会い系サイト全盛期
男女合わせて100人以上の人間と会って仲良くなる。

(中には付き合った子、それ以外の目的だけを果たした子もいた)



しかし、不毛さや虚無感を感じる不特定多数の子たちとの適当な付き合いを止め、
縁あって知り合いの紹介で
数年ぶりにきちんとした特定の彼女を1人作る。(今の奥さんであるAyaとの出会い)
紹介してくれた友人に感謝感謝!


今までとは違う『自然体な付き合い』ができる彼女(Aya)を大事にしようと、密かに心に誓う・・・。
ただ一点、当時戸惑ったのは名前。
漢字は違うが実は俺の姉貴の名前もAyaだったりする(笑)。



子供の頃から飼っていた愛猫ドビが肝機能障害により死亡。(享年17歳 猫年齢は不明)
満足な看病もしてやれず、病気に気づくのも対処するのも遅れたことに後悔の念が絶えない・・・。





2003年10月、突然『 躁鬱病 』になる。
知人の勧めもあって心療内科に通院するようになる。


まともに仕事が出来なくなり、一般的な社会生活もままならなくなってしまったため
上司に休職願いを出して休職する。



2004年1月に一度職場復帰するが、仕事中躁鬱病がぶり返し、
症状がどんどん酷くなったため上司と相談した後、長期休職を決断。



傷病手当を国からもらいながら生活。
鬱が酷すぎて寝たきりの一日中状態が多かったので経済的には困らなかったが、精神的にはどんどん闇の中へ・・・。
飲まず食わずで一日中ベッドの中にいたので、
体重は一気に10kg減。



躁鬱病が激しくなり、友人・知人・家族やAyaに多大なる心配と迷惑をかける。

躁状態が時々激しく出てきて言動・行動が極端・異常になり、
数ヶ月間の間に自動車事故3回(人身事故、対物事故、自損事故を各1回)を起こす。


警察を含め、誰彼構わずもめて喧嘩となり、
友人2人には絶縁され、Ayaのお父さんとも何度もバトルを繰り広げた。





勝手わがままを言い放って一方的にAyaに別れてもらい、怠惰・堕落の日々を送っていたが、
Ayaはそんな病気で異常になっている俺を見捨てることなく、ずっと傍で支え続けてくれた。

どんどん症状がエスカレートする躁鬱病に歯止めをかけるべく、
周囲からの薦めもあって病院・主治医の変更を決断。

本当は避けたかったが、小さいときからのかかりつけ医で
信頼・尊敬している地元の名医・山内先生に主治医となってもらう。



同じく躁鬱病で苦しむ仲間と出会い、コミュニケーションを深める事で徐々に病状は回復。
特に法学部を出た後、方向転換して獣医師となった人生経験や知識が豊富なtomoさんには、
いろいろと力になってもらった。



前々から飼いたかったミニチュアダックスフントを、アニマルセラピーの一環として大枚叩いて購入。
いろいろ考え悩んだ挙句、愛犬を『 ジル 』と名付ける。

母上が
『 犬の名前はラブちゃんにしよう!』と言い出したのを止めるのが大変だった・・・。
ちなみに愛犬はオス。



20年以上生きた癒しの象徴・家族の一員であった愛猫マリが脳梗塞で亡くなる・・・。(猫年齢は不明)
ペット共同墓地にて埋葬・供養してもらったが、家族とも言える愛猫の死に、
母上と共にペットレス症候群となり、数日間寝込む。





躁鬱病は小康状態を保つが、
物欲(金銭欲)以外の欲求がなくなっている自分に、不安を感じ始める・・・。




地元の神社へ病気平癒、奈良県の三輪神社へ交通安全の御祓いの旅に出る。
御祓いや祈祷も兼ねて、神社参拝、肌身離さずつける数珠を購入したりしてみる。



塾での講師業は相変わらず躁鬱病で復帰の目処が立たなかったが、
縁あって、仕事の物凄くできるtetsuyaさん(各種風俗店などのオーナー)に声を掛けられ、
社会復帰の第一歩・リハビリも兼ねてネット・パソコンを中心とした仕事を手伝うようになる。
tetsuyaさんがオーナーだった風俗店や水商売のお店の仕事を手伝いながらいろいろなことを体験、勉強。



tetsuyaさんに部下として認められ、『 月50万+出来高払い 』でソープランド店の社長をしないか?
とのオファー
を受けたが、塾講師・社会人としての復帰や他の様々なことを第一に考えていたため、断った。



社会復帰はまだ果たしていなかったが、躁鬱病でとても苦しんでいた約3年間、
ずっと傍で支えてくれていた
Ayaとの結婚を決める。
俺は結婚願望は極めて希薄で、家族も俺の結婚はいろいろな意味で諦めていたため、
みんな驚いた。(俺も驚いた)
ちなみに母上は泣いて喜んでいた。(ちょっと親孝行)





結婚の決断に至った経緯は少し変わっている・・・。


Ayaと結婚をしなければ、予定通り一生誰とも結婚せず独身だろうと思っていたが、
きっかけはたまたまAyaの希望で見に行った
結婚式場(Ayaのお姉さんが挙式をあげた式場)の見学。

最初は香里園にあるパレス愛という式場に見学に行った。
近所のレストランでのランチ無料券が貰えるというのが動機(笑)。


俺は昼飯を食べに出かけただけなので、式場の担当者の対応の悪さや接客態度に関して特になんとも思わなかったが、
結婚を望んでいたAyaは、パレス愛香里園の接客態度と客の意向を無視した一方的な結婚式の提案に
自分の理想や結婚式観とのギャップを感じて大きなショックを受けた様子だった・・・。




Ayaのあまりの落ち込む姿を見て、ちょっとイライラしてしまってランチも全然美味しく食べれなかったので
Ayaのお姉さんが挙式した新大阪のパレス愛という結婚式場の見学に落ち込むAyaを無理矢理連れて行った。

系列店でありながら、香里園のパレス愛との様々な違いに驚いた。
担当で接客してくれた安部さんとの会話も弾み、
Ayaも物凄くそこを気に入って楽しそうで幸せそうだったので、
Ayaがここまで喜ぶのなら、ここで結婚式を挙げよう!と思い、予約状況を確認。
7月7日の七夕がちょうど空いていたので、
すぐさま手付金を納めて式場を予約。

両親に相談もせず、
ある日突然、俺とAyaの結婚は決まった・・・(笑)。

ちなみにこの日の朝、(もしかすると昼頃まで)
まさか自分が結婚することになるとは、1%も思っていなかった・・・。





新大阪のパレス愛で挙式する事を決めてから、帰りの車の中でAyaにプロポーズ
一般人と比べて結婚に至る順序が逆でおかしかった。しかも、
『プロポーズしてもらってない!』とAyaに式場からの帰りに言われてからのプロポーズだった。
さすが俺、ちょっと変人(笑)。



躁鬱病は完治していなかったが、寛解の状態ぐらいまでには回復したので、
長期休職中ではあったが勤めていた某進学塾への復帰を本社に申し出る。


しかし、待てど暮らせど復帰の許可は下りず、
数ヶ月間に渡り仕事も給与も無い状況が続き、
しかも新年度体制の中に自分の居場所が確保されていない事を知り、
勤めていた会社への復帰を断念して退職。

冷静に考えると、俺から退職を申し出る方向に誘導された感じであった・・・。




 ■ 社会人時代 B 2006年〜 


結婚も決まり、とりあえず生活費を稼がないとダメなので、
自宅でのネットビジネスは続けながらもハローワークや求人雑誌を元に就職活動をする。

しかし、30歳を超えてからのまったくの異業種への転職は難しく、
気に入った会社からはなかなか採用してもらえなかった。
練習で受けた会社に限ってダッシュで内定をくれたりするのが人生の常・・・。



とりあえず失業保険はもらっていたが、俺が無職のまま
2006年5月23日に婚姻届を役所に提出して籍を入れ、
2006年7月7日の七夕・大吉の日に新大阪の結婚式場パレス愛で
Ayaと結婚式を挙げた。




2006年6月中に新居となるハイツに荷物を搬入し、
2006年7月8日からAyaと正式に夫婦としての新婚生活をスタートさせた。

新居に関しては、不動産屋巡りをする前に
Ayaの幼稚園からの幼馴染とその旦那さんが協力してくれた。


具体的には、
仮契約で入居者がほぼ確定していた部屋を、
Ayaの幼稚園からの幼馴染とその旦那さんが直接大家さんに話を付けてくれて
大家さんが予約をキャンセルして俺とAyaを入居させてくれた。

ikuちゃん、兄さん、大家さん、本当にありがとうございます。感謝、感謝。





2006年の年末より、大学生時代に非常勤講師としてお世話になっていた別の某進学塾にて、
算数・数学の非常勤講師として再びお世話になることが決定


求職のタイミング、大学生時代にエリア長(兼校長)からの信用を得ていたこと、
先の会社での塾講師との経験も買われての採用であったが、
兄貴の口利き・推薦もあって高待遇で快く迎え入れてもらい、仕事させてもらっている。
ちなみに兄貴は、今の某進学塾の社員であり、他校舎の校長でもある。



2007年の新年度より、契約常勤講師となり、
今まで以上に某進学塾にて講師業に邁進。




2007年の秋頃に京都の鈴虫寺で子宝のお願いをした甲斐あって、
2008年1月、Ayaがめでたく妊娠。出産予定日は2008年9月9日。



自分の家庭・家族が1人増えることを真剣に意識し
Ayaと2人で俺の仕事のことや家のことなど、将来設計をいろいろ計画中・・・。
ときどき愛犬ジルも将来設計会議に参加(笑)。





現在に至る。 (2008年6月5日 最終更新)管理人rita*のお笑い人生劇場・人生銀行・人生の軌跡をまとめてみました。管理人の今までの人生の中での様々な出来事や事件なども多く載せているので、性格判断・分析の材料にして下さい(笑)。決して英雄伝説ではありませんのであしからず。

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